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主人公の心情

2009年11月07日
 ばさばさと文章を捨てていますが、ちっともきれいにまとまりません。
 つうか、なんかいちゃラブって危険だ……。
 据え膳を食う主人公にしたら、18禁展開になりそうな気がする……。

 さて、最近、似たような話題が続きますが、なんでそんな話をしているかというと、今回は主人公の少年の心情の変化をメインとした物語を現在執筆中だからです。

 最初は熱血のわかりやすい主人公を描いたのですが、どうも熱血すぎると某様に指摘していただいて、あらためてキャラクターのことを考えるとわたしはどうも勘違いをしていたことに気づいたのです。

 いや、主人公はものすごく熱いものを持っているのですが、物語の当初からやる気満々というわけでもないし、次から次へとあらゆる事件に首を突っ込んでいくというタイプの人間ではないのです。

 どうも作品を書いていて、キャラクターがうまく機能していかないなあ、と思っていたら、主人公の立ち位置というか、役回りというか、そういうところがどうも自分が考えているものとは違うことに気づいたのです。

 お人好しだし、困っている人は放っておけないし、悪い奴は許せないというところは変わらないのですが、じゃあ自分からトラブルに首を突っ込んでまわりに迷惑をかけるタイプの熱血タイプではない。

 もっと違った役回りの熱血タイプであり、その主人公自身の核を意識しながら描いていくのがかなり繊細で難しいのです。

 例えば、同じツンデレ釘宮キャラのルイズ・シャナ・大河は全員別々の核を持っています。
 ルイズは常に貴族であろうとするためにプライドが高く、精神年齢も高くなっていますかが、シャナは自分の使命から誇り高い人間になっても精神的には社会的なコミュニケーションの足りなさから幼くなっています。

 分類的にはツンデレというカテゴリーに含まれるとしても、それぞれは各固有の魅力を兼ね備えています。

 そういうところを今意識しながら執筆しているのですが、これが繊細でとても難しいのです。
よもつや執筆話

ディテール

2009年11月06日
 先日、某様と話をしていて、「ディテールというものの積み重ねによって物語の奥行きが変わってくる」というような話題になりました。

 以前にも述べましたが、『もののけ姫』でアシタカが屋根から屋根に飛び移って着地をしたときに屋根がバキッと折れてアシタカがずるっと足を滑らせる場面があります。

 本当にささいな場面なのですが、ああいう細かい演出があると、物語が生きてくるというか、リアリティが増してきます。

 屋根がもろい木でできていること、アシタカが無様に足を滑らせることで生きていることが伝わります。

『新世紀エヴァンゲリオン』の新劇場版でもエヴァが走る場面ではかなり作画監督さんがこだわったようですが、そういう細かいところをしっかりと描くことによって疾走感や躍動感が変わってきます。

 テレビアニメでは限られた枚数で表現するために、どうしても手を抜かざるを得ないときがあります。そうすると、登場人物の動きがどうしてもアニメ的なオーバーリアクションになったり、わかりやすい表現をしたりしますが、そうすると人間くささというものが出せなくなります。

 そういうわかりやすさだけを追求していくと、どんどん物語が薄っぺらくなります。

 別に動きだけにかぎらずに、ディテールをしっかりと積み重ねることによって物語や登場人物は命が吹き込まれていきます。

 例えば、ツンデレヒロインがさんざん主人公をののしっても、ほんの少し主人公を心配するような言葉を言ったり、セリフの言い回しを変えたり、ちょこっと主人公を気づかうセリフや行動を入れるだけでもただのわがままな女の子になるか、不器用な憎めない女の子になるかが断然印象が変わってきます。

 一回だけではあまり効果はありませんが、そういう細かいところをいくつも積み重ねることによって、観ている側は無意識の中にすり込まれていって登場人物や物語が「生きて」くるのです。

 でも、これがきのうの心情の変化ではないですが、本当に難しいのです。
 さりげなく入れて、なおかつきちんと相手に伝わるようにしなければいけなくて、さらに物語全体のテンポの邪魔をしないようにしなければいけないので、まさに針の穴に糸を通すような気分になります。
よもつや執筆話

心情の変化

2009年11月05日
 11月はさすがにしんどくなりそうです。

 もうひたすら執筆していますが、遅々としてなかなか進まないのが困っています。

 ちっとも休んでいないのにね。

 作品を書いていて、非常に難しいのが登場人物の心理が変わる場面です。
 変わらないところはそんなに大変ではないのですが、登場人物の心情が変わるところはとても難しいです。

 例えば、友達だと思っていた相手が恋愛に変わる瞬間というのがあるじゃないですか。

 キャラクター自体は、恋愛だと気づくのはその瞬間だとしても、実はその前から相手の異性を気になる存在になっているわけですよ。

 それを登場人物が気づかなくても作者は気づかなければいけないわけですよ。

 だんだんと恋心が芽生えてきて、ある瞬間に相手への強い愛情に変化するわけですが、そこまでのささいな変化というのがめちゃくちゃむずかしいわけですよ。

 それまで友達付き合いだったのが急に「あっ。わたし、恋してたんだ」と180度変わったら嘘くさいわけですよ。

「おまえ、きのうまでそんなこと一言も言ってなかったじゃん!」
 と突っ込まれます。

 登場人物は気づいてなくても、作者や読者は「この子、恋しているんだあ」と思いながらも友達付き合いをしているふたりになんとなく切ない気分を味わいつつ、ある瞬間にその登場人物が「あっ。わたし、恋してる」と思った瞬間に読者側は「うわー! うわー! この後どうなるのよー!?」と爆発が起きるわけですよ。

 それまでの感情の起伏の変化をどう解釈してどう表現するか、どういう段階を経るかということがとんでもなく繊細で難しいのです。

 レベル10の「好き」が「寝ても覚めても相手のことが大好きで大好きで仕方がない」状態だとしたら、レベル5の「好き」はどんな好きなのか? レベル4の「好き」とはどう違うのか? レベルを上げるためにはどんなイベントが起きればいいのか?
 などと考えると、だんだんわけがわからなくなってきます。
 自分はどうかなあ、などと思い返しながら作品を書いています。

 いや、恋愛に限らずにあらゆる心情の変化についてです。

 一歩間違えるとご都合主義というか、作者に動かされているように見えてしまうのです。そうではなくて、自然な感情の揺れ動きというものは本当に難しいのです。

 でも、うまくできるととんでもなく感動的な作品になるのです。
よもつや執筆話

演出

2009年11月04日
 某ドラマCDを聞いていて、『ヘルシング』の大佐の演説のオマージュの演説を聞いて笑ってしまいました。

「諸君! わたしは戦争が好きだ!」

 今現在執筆中の作品でどこかに長々と演説の場面を入れてみたいんですよねえ。

 だいぶ前に述べていた若本ボイスキャラをうまく行けば出せそうな気がします。

 さて、きのう打ち合わせをしていて、結構某様と演出面でいろいろと話をしました。

 最近では演出をどうするかというような話をしていて、結構具体的なところまで来ているのがよいと思っています。

 なにを見せるか、どう見せるか、どんな風に感じさせるか、というところでいろいろと話をしています。

 以前はなんとなくで各場面を書いていましたが、最近ではひとつひとつの場面に意図を持って説明できるようになってきました。

「ここの場面の主人公は×××という心情なのでこういうセリフを言っているんです」とか「ここの場面はあとの○○にかかってくるから必要なんです」とかそういうふうにちゃんと説明できると、相手の方も納得していただけますし、その上で相手の要望を組み込むときに「じゃあ、こういうふうにしたらどうですか?」という提案も出やすくなります。

 つい去年ぐらいまでは「このセリフはどういう意図があるんですか?」と言われても、「なんとなく言わせてみたかった」とか「なんなとく格好良いから」とかそういうふうにあいまいに説明していて、話がそこで頓挫してしまうことがよくありました。

 または、相手の方の意見を聞いて「なんか違うなあ」と思ってもこちらも意図を説明できないので、結局相手方の意見を聞いてなんとなく腑に落ちないまま完成させてしまうこともありました。ずれがあるのなら直せばいいのに、どこがずれているのかわからないからなおしようがないんですね。

 あるいは、相手の方のほうが作品を理解して導いてもらうようなこともありました。
 作者としては情けないかぎりです。

 このキャラクターの立ち位置は? このキャラクターの役回りは? この設定の意図は? このときのキャラクターの心情は?
 あらゆる質問に答えられるようにしておかなければいけません。
 そこまで考えて相手に説明した上で、「さあ、もっとよくするためにはどうしよう」という話し合いが始まるのです。

 先日ある作家さんたちとの会話の中で、ある作家さんが「作者はあらゆることを理解していないといけない。登場人物本人が気づいていないような心情面でもちゃんと説明できなければいけない」というようなことをおっしゃっていました。

 同じようなことをうちの大学先生やうちのししょーにも言われていたわけですが、わたしはなかなかその感覚が理解できずにいたものの、「やっぱりちゃんとプロで活躍されている方というのはそういうことができているんだなあ」と思いました。

 そう考えると、物語というものは表面的にあらわれている以外のあらゆることを作者さんというのはちゃんと考えているんだなあ、と他人事のように思ってしまいました。
よもつや執筆話

小学生の成長

2009年11月03日
『名探偵コナン』で毛利小五郎が小山力也さんに代わりましたが、やっぱり違和感があります。格好良すぎです。

 小山力也さんといえば、ジャックバウアーやジョージ・クルーニー、『攻殻機動隊』のクゼの吹き替えでおなじみですが、実は結構コミカルな演技も定評がある方です。

 なんか写真が俳優の堤真一にも似ているような気がしています。

 さて、本日は打ち合わせをしましたが、そこで話題に出たのが小学生の成長です。

 小学生の成長というのは大人とは違って一年一年で大きな変化をするのでどの年齢にするかで微妙に違ってきます。

 小学校低学年では男子と女子の間には性差というものはありませんが、高学年になってくるにつれて男子と女子の間に性別の意識が生まれてきます。

 両親や異性の兄弟と低学年では当たり前にお風呂に入っていても、ある日突然嫌がるようになってきます。

「初恋であったり、憧れであったり、異性を異性として意識し始める年齢であったりするのはいつなのか?」といったところをかなり考えてしまいます。

 大人になれば年齢によって精神的に大きく変化することはありませんが、子供はとても多感なので一年でもおそろしく変化をします。わがままを言って困らせていた子が急に大人びて落ち着くこともあります。

 そんな話をしていたら、ふとなんか塾の講師をしていた頃が懐かしく思えてきました。

 頭はいいのに、精神年齢が追いついてなかったり、他の子よりも体の成長は遅くても、妙に大人びた性格をしていたり、そんなもろくも柔軟で強く、アンバランスな子供たちがたくさんいました。

 せっかくだからそういった経験を今執筆中の作品にうまく反映できたらいいなあ、と思いました。

 いや、小学生がメインの話ではありませんが。
雑感
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