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新世紀エヴァンゲリオン考察動画

2009年07月04日
 こんばんは。しつこくエヴァの話題を続けます。
 YouTubeでエヴァの予告編を見ていたら、たまたま見つけた動画です。
 一昔前にサザエさんの秘密みたいにエヴァ読本みたいなものが山のように販売されましたが、わたしはほとんど読みませんでした。
 あらためてこの動画を観たら、なかなか納得できる考察もあっておもしろかったです。
 とりあえず下記にパート1を載せておきますので気になった方は続けて見てください。
 もしこの考察どおりにシナリオを書かれたのだとしたら、あらためてとんでもない作品だったと思います。



 でも、「気持ち悪い」発言だけはこの解釈でもなかなか納得できませんでした。

 旧エヴァでアスカがシンジを好きだという解釈がこの中でされていますし、納得できるような解釈の仕方なのですが、そこはやっぱり理解できませんでした。

 声優の宮村優子さんがNHKの某番組で「元々の台本はたしか「あんたに殺されたくなんかないわよ」みたいなセリフだったんですけど、どうにも監督が納得ができなかったみたいなんです。そこで監督が「もし君が寝ていて目を覚ましたら、そこで自慰行為をしている男がいたらどう思う?」と聞かされて、「……気持ち悪い、ですかね」と答えたらそれが採用になったんですよ」と発言されていました。

 これを聞いてもやっぱり当時の監督の意図とシンジの心境とアスカの心境が理解できませんでした。
読書&映画感想

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 破』感想5(まとめ)

2009年07月03日
 そんなわけで一度総まとめの感想をいたします。
 あんまりだらだらと続けても、どんどん身内が来なくなっているので。
 まだ観ていない人にはネタばれした感想は観たくないですよねえ。

 やらなくていけないことはいろいろとあるのですが、ついまた観てきてしまいました。

 序から始まった小さな波が破によって次第に大きな波に変化していきました。だから、ひとつひとつの場面が序以上に大きく変化をしています。
 今回から新作カットがたくさん増えたのは素晴らしく、未だに頭の中に興奮が残っているほどに今回も素晴らしい影響を人々に与えたように思います。

『新約 機動戦士Zガンダム』と同じように起きるイベントそのものは同じなのですが、登場人物たちの意識や関わり合い方が変化することによって、同じような場面でもひとつひとつがまったく違った場面になります。

 ただ、あえて不満を言うとするなら、ひとつひとつの場面は構図も行動も変化をして、より印象深くなったのですが、結局ベースとなるストーリー展開自体は変化をしていないので、「本当にそれでよかったのか?」ということにやや疑問を抱いてしまいました。

 昔、『神舟』の直しをしたとき、あるいは別の作品の直しをしたとき、登場人物の性格や設定ばかりか、性別さえも変え、さらにはひとつひとつの場面さえも変化させたのですが、ストーリーラインをわたしは頑なに変えませんでした。完成されたストーリーラインを崩したらつまらなくなるような気がしたからです。

 でも、今あらためて考えると、「主人公の性格や設定が変化すれば、当然主人公たちの決断も変わるのだから、ストーリーは全然別物に変化をさせてもよかったよなあ、いやむしろ全然違う話に変えたぐらいの方がよかったのではないか?」と思うようになっています。

 今回の『新劇場版 破』でもストーリーを積極的に変えようとしたけれど、他のスタッフがストーリーを変えることに難色を示したというようなエピソードが語られていますが、旧作を大事にするあまり本作のストーリー展開が大きく変わっているところがわたしにはさほど大きく変わっていないような気がしたのです。

 ツンデレアスカもかわいいし、クーデレのレイもかわいいし、ロボットアクションのわかりやすい物語として充分に楽しめるものになるはずなのに、旧作のエヴァンゲリオンが好きでたまらない人の無言のプレッシャーから作品自体が抜け出してこないのです。

わたしとしては「エヴァンゲリオンというものを今現代に生み出すとしたらこういうものになる」というものが見たかったのです。

 それだけにどうしてもテレビシリーズをパワーアップさせただけにしか見えずに残念でしたが、最後の最後にシンジの行動が劇的に変化することによって、最後の最後の超展開はこちらが待ち望んでいたものになったことは本当にうれしかったですが。

 個人的には冒頭のマリが伍号機で戦う場面は実に映画らしいスケール感がある展開だし、マリのキャラクターも現代的で、どう旧エヴァから離脱して大きく外れていくのか期待したのですが、どうしても旧エヴァの枠から外れていない気がしました。
 むしろ、マリをエヴァの世界に合わせたら、まだ納得ができたかもしれません。

 結局、旧作があまりに素晴らしかったために、そこから抜け出すことは容易なことではなかったのかもしれません。

「庵野監督が」というよりも、「エヴァというものはこういうものだ」というファンやスタッフなどが生み出した幻影が作品を縛り付けているような気がしたのです。

 鶴巻監督もそれを自覚していましたが、それがわたしにはもったいなくて仕方がないのです。
 確かに旧エヴァのテレビシリーズは素晴らしいし、1話1話の完成度は非常に高いです。けれども、序はともかく、破はあれだけ新作のカットが投入されたのなら、もっともっとぶち壊してもよかったような気がしました。

 それこそテレビ版でマヤが口走った「使徒の複数同時攻撃」みたいな展開があってもいいような気がしました。

 そういう形に持っていってくれると思ったのですが、結局それを庵野監督がやりたくても、たぶんファンやスタッフなどまわりの空気が旧エヴァを愛するあまり許さなかったのではないかと勝手に推測します。

 でも、最後の最後の超展開は素晴らしかったです。

 私としては序があまりにも素晴らしくて、この二年間でさらなる進化を期待し、破の冒頭がとても素晴らしかったので、どう大きく逸脱してくれるか期待しただけに、作品がテレビ版から抜け出さないことが個人的にはやや残念ですが、ひとつひとつのクオリティは大変素晴らしいし、すごく一流のエンターテインメントとして楽しめるものではあります。

 今度はさすがに旧劇場版の踏襲みたいな形にはならないと思いますので、新しい展開がどうなるのか枝が別の方向に大きく伸びていくことを期待しています。

 でも、2年後……いや、3年後?
 大人になったけど、長いなあ。 
 でも、どんなに長くても楽しみに待っています。
読書&映画感想

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 破』感想4(レイとアスカ)

2009年07月02日
 そんなわけで本日はアスカとレイについてです。
 さすがにそろそろ感想は終わりにしたいです。
 ネタばれ注意です。

 シンジが少しずつ変化したことで、レイやアスカに対する気づかいや態度が変わってきて、結果的にレイやアスカもシンジに対して心を開くようになっていきます。

 テレビ版で多くのファンがこうなることを望んでいただろう展開となっていくことによろこんだ方も多かったのではないでしょうか? 前作が前作だっただけに、さらにカタルシスが生まれているような気がします。

 アスカはツンデレになっていくし、レイはクーデレになっていくし、シンジくんはフラグ立てまくりのギャルゲーの主人公みたいになっていきました。
 もはやベタベタの王道一直線です。

 でも、登場人物たちが横のつながりができることで、非常に見ていて安心できる作品になっています。

 ただ、本作ではドラマよりもアクションを中心に据えたことでエヴァ本来が持つ心の機微が薄くなったのが残念でした。いや、一本の映画として見たときもやや物足りなさを感じます。

 例えば、レイは序から引き続いて登場し、シンジとの絡みも多々あるので、レイの心の変化は見ていてわかるのですが、アスカのキャラクターがあまりにも薄いのです。

 初見で見た人はアスカというキャラクターが何のために登場したのかわからないんじゃないでしょうか。

 今作のアスカも何かしら心を病んでいるところがあるようですが、横のつながりをもっていく過程があまりにも薄いのです。

 アスカというキャラクターをわたしたちに印象づけたのは、あの強烈なまでのプライドの高さと頑なさであり、本作でもその片鱗を見せつけてくれるわけですが、それだけにあっさりとレイやシンジを思いやるなど勝手に自立していくような展開は納得ができませんでした。

 ツンデレと見せかけたヤンデレとまでうたわれたアスカのプライドの高さと他人への依存をどう切り崩していくか、というところはある種『ひぐらしのなく頃に』の惨劇回避みたいなところがあるわけですが、シンジはレイにご執心だし、自分の問題でいっぱいいっぱいでアスカをほとんど思いやっていません。

 シンジやミサトはアスカに対して踏み込んで何らか信頼関係を築くきっかけをつくらになければならなかったのですが、今作はアスカの成長が単純に中盤の悲劇を生むためにつくられたようにしか受け取れませんでした。

それこそアスカの内面を深く切り込んでいくような展開にしないのなら、1本の映画として真希波マリのような性格に思い切って変えて、それがシンジに何かしら影響を与える立場にしてもよかったような気がします。

 それではたぶん前作のファンは怒ったかもしれませんが、ちょっとアスカの立場が中途半端になったように感じてしまいました。
 それは製作者サイドもアスカの扱いにかなり困ったようですが、もう少し短いイベントの中でアスカの内面を切り崩すところに踏み込んでいけなかったのかなあ、とやや残念に思ってしまいました。

「人間ドラマを展開するよりも戦闘を多くした方が三部作の真ん中としていいような気がする」と鶴巻監督は言っていましたし、それはそういうやり方も正しいとは思いますが、もう少しアスカが勝手に自立するのではなくて、アスカの内面をしっかりと踏み込んでいってほしかったと旧作からのエヴァ信者(わたし)は思います。

 レイは本作ではほとんどメインヒロインのように扱われているので別段今さら語る必要はないかと思います。

 でも、個人的に長門は好きなんですけれど、レイはあまり好きになれないんですよね。
 いや、ミステリアスで神秘的なところは魅力的だとは思いますし、その後にさまざまな作品のキャラクターに影響を与えたということでは、すごいキャラクターです。

 ただ、レイはヒロインというよりも、やっぱりお母さんの印象が強すぎる気がします。
読書&映画感想

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 破』感想3(CG&使徒)

2009年07月01日
 そんなわけで本日はCGと使徒編です。

 今作ではバトルシーンもかなりのCGを使われたようですが、それらが違和感がほとんどないくらい素晴らしかったです。

 マクロスフロンティアなどのCGを製作している事務所に依頼をしているだけはあって、大変素晴らしかったです。

 最近ではCGもだいぶアニメになじんできたので、すごくよかったですね。
 CGが素晴らしいのは、あおりや俯瞰ができるということです。

 手書きだとどうしてもスケール感がなかなか出せないし、同じものを上からや下からなどころころと構図を変えて見せることもできないのですが、CGだと下からでも上からでもカメラを当てることができるし、手書きに比べて奥行き感も出せるので、なんとなく使徒やエヴァの大きさがわかるのが素晴らしいです。

 特にミサトが海岸沿いを車で走っているときに、使徒が見えるなどの構図が素晴らしいですね。

 あとは空から落下してくるときの使徒を受け止めるときの走っている感じも以前の未熟なCGならあまり迫力がなかったのですが、技術の進歩によってテレビと同等かそれ以上の迫力が出ていました。
 そのせいで、街一個分のミニチュアをつくるなどのとんでもない労力がかかっているそうですが。

 いつもロボットアニメを見ていて不満なのがその重量感があまりこちらに伝わってこないということです。

 個人的に重量感を表現しているのは『天空のエスカフローネ』です。
 重たそうに剣を振るところとか、剣の重さでロボットが引っ張られてしまうところとか、踏み込んだときに地面が割れるところとか、そういうところが非常によく表現されていました。

マクロスフロンティアというよりも、マクロスゼロから継承されたスピード感のあるCGね本当に素晴らしいです。

 あのドッグファイトなど培われたエヴァの疾走はこちらまで走っているような気にさせられました。

 あの走っている感じが本当に素晴らしい。

 でも、あらためて構図を他のロボットアニメと比べてみると、本当にウルトラマンのような構図を多用していることがよくわかります。

 庵野秀明監督は本当はものすごく特撮をやりたいんだろうなあ、ということがよくわかります。

 あと今回の使徒は前回のラミエル以上に変化しているので「おまえ、誰?」というような使徒もたくさんいます。

 特に、最初にアスカが倒した使徒と、マリが倒した使徒がテレビ版のどの使徒に当たるのかさっぱりわかりませんでした。

 しかも、使徒が全員かなり強力になっていて、一筋縄ではいかない敵を描くのは、『天元突破グレンラガン』といい、本当にガイナックスは素晴らしい(製作はスタジオカラーですけど、庵野監督などは元ガイナックススタッフなので)。

 旧エヴァもサキエルTシャツがやたらと売れましたが、敵があれほど圧倒的な存在感を見せつける作品というのは他に類がないような気がします。

 そういうところも、ウルトラマンの個性的な宇宙星人を思い起こさせます。
 テレビ版では気づかなかったけれど、こう考えると、つくり方が本当に特撮的なんだな。

 必死にこちらが知恵を振り絞ってやっと勝てるところが素晴らしいですね。

 そういうインパクトのある敵と、それ以上にインパクトのある主人公たちを生み出したいです。
読書&映画感想

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 破』感想2(音楽編)

2009年06月30日
 そんなわけで本日は音楽編です。
 ネタばれ注意です。

『新世紀エヴァンゲリオン』は音楽という面でも非常にさまざまな作品に影響を与えました。特にヤシマ作戦や暴走のときの音楽は、エヴァンゲリオンというものを象徴するものであり、あちこちのバラエティで使われたばかりか、踊る大捜査線という別のドラマでも使われるほどに有名でした。

 しかも、クラシックの使用や劇場版での洋楽風の楽曲なども当時としては斬新であり、現在の洋楽やオーケストラなど幅広く手がける菅野よう子さんがオタクによろこばれる基盤をつくった一因かもしれません。

 もちろん菅野よう子さんの音楽が素晴らしくて、広いオタク層に受け入れられたことは言うまでもありませんが。

 そんなわけで、エヴァンゲリオン作品において、音楽というものはすごく重要なものでもあるし、わたし自身も映画やアニメにおいて音楽という要素はすごく重要なものだと思っています。

 前回の序でパワーアップした旧エヴァの音楽はもちろんのこと、新曲もすごい好きでした。
 けれど、今回は……。

マリが歌っている歌やピンキーズも昭和臭さを演出するという意味で、作品を高尚なものにするのではなく、もっと身近なものにするという制作側の意図があるので、別段いいとは思います。

 それで、映画を見た方ならわかるかと思いますが、あの2つの歌は賛否両論が分かれるところでしょう。

 でも、作品世界を身近にするという意図から出ているものならば、別段許容範囲内だと思います。

 ただ、別のアニメや別作品の楽曲を持ってくるのはやめてほしかった……。

 庵野作品はナディアでももろに宇宙戦艦ヤマトのシーンや音を持ってくるなどのパロディを展開していますし、エヴァでもいろいろとやっているのですが、知っている曲が流れてくると冷めてしまうんですよね。

 例えば、学園場面の『彼氏彼女の事情』の曲を聴くと、記憶が一気に『彼氏彼女の事情』が思い起こされて集中できないのです。

 ※ちなみに、『彼氏彼女の事情』も原作は少女マンガですが、庵野監督の手によってアニメ化されています。

 学園ラブコメの『彼氏彼女の事情』の音楽を使うことで、エヴァとは思えないほど劇的に作品が軽くなるのですが、キャラが『彼氏彼女の事情』にかぶって見えてしまうのです。

 百歩譲って、学園場面はいいのですが、加持さんがミサトの過去を語る場面でも『彼氏彼女の事情』の音楽が流れてくるのは、さすがに「ちょっと……」と思ってしまいました。

 なんか頭の中に宮沢雪乃と有馬総一郎くんの場面が思い浮かんで、もう全然集中できませんでした。

 その他にもあちこちで別の作品の音楽が使われていたようです。

 その音楽が別の作品で使われていたということを知らなければ集中できたと思うのですが、知っているとすごく引っかかってしまうんですよね。

 あるキャラクターで最初の声優さんと別の声優さんに交代したときにものすごく違和感を感じるようなものです。

 イメージが固定化されてしまうと、なかなか崩していくのはつらいですね。
読書&映画感想
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